超悲報

2013年4月10日
とても重い?話なので秘密の方に。激長文です。冗談になんないよー。

評論 第6.5回

2013年3月30日
strucuralism

The distinction between work and text is iteself one starting point for considering what critical consensus might now take the latter to be.

構造主義

 作品とテキストの違いというのは、それ自体批評的な一致がテキストをどう考慮するかを考えることの出発点となっている。

???

クリティカルコンセンサスが何を言っているのか分からんし、take the latter to beも分からん。

評論翻訳6回目

2013年3月29日
 本書は文学研究においてよく見つかるような立場から非標準の「テキスト」を研究するための本であるが、先ず初めに云うべき一連のことは、この導入部分において文学および文化批評のテキストにおけるいくつかの見方を再評価することをこれからしていきたい。これらのセクションは3つの問いかけをするたくさんの介在する系図になることだろう。テキストが縛られるアイデア,文学のテキストは他のテキストと本質的に違うという考え、高度に洗練された文学研究の対象というものは、文学の所作であるべきだという考え。以上の3つである。

感想

とりあえずツイッターでもコメでも指摘があって、それがためになったので次回からは原文もつけるわ。今回は勘弁。
 しかしながら、イギリスではウルフやオーウェルのような作家は戦間期において当時人気のある文化的所作として考えられているハガキやポスターの読み方を提供したが、それらは同時代の批評家にとって必要なものとして考えられている複雑や荘厳さを欠いたものだった。これらの例から言えることは、イギリスの批評家は文化の議論をとっくの昔から取り掛かりだしていたということだ、その例としては特にレイモンドウィリアムズの50年代以降の文化研究や、リチャードホガートが60年代に設立した文化研究センターの功績などがある。構造主義者、マルクス主義者の文化批評の2要素は、文化と言うものを社会の中を流れる様々な方向性を持つ力の集合体であると理解している文学研究へのアプローチ法を提供してくれる。


Woolf, Orwell:20世紀イギリスの作家。
Raymond, Richard:20世紀イギリスの文化学者、批評家。

感想
今回マジでメガトン意味分からん。

However, it is also relevant that in Britain writers such as Woolf and Orwell offered readings in the interwar years of postcards and posters that at their time of writing were generally considered to be popular cultural works that lacked the complexity or gravity most contemporary critics considered necessary for serious engagement.
のシリアスエンゲージメントってなんやねん、というのと
It is these two strands of cultural criticism, structuralist and Marxist, that have informed the approach to literary studies that understands culture as an assembly of varied and opposed forces coursing through a society at any moment rather than as a laden value term demarcating the preserve of an elite.のat any moment以降がちんぷんかんぷん。
シュガーラッシュ 鑑賞
粗筋

ラルフは、ゲーム“フィックス・イット・フェリックス“の悪役キャラで、毎日ヒーローに負かされ、愛されることはなく、悪役たちが集まるカウンセリングに通う苦渋に満ちた日々をおくっていた。しかし、ある事件を機に自分の世界を飛び出すことを決意し、ヒーローの証であるメダルをゲットするため、他ゲームの世界に乱入しメダルをゲットする。しかしその世界の化け物に追われ、更に別のゲーム「シュガーラッシュ」に紛れ込んだ彼は、レースの世界から爪はじきにあっているヴァネロぺという少女と出会う。

感想

流石ディズニー!ディズニー様!
ストーリーも絵も文句なし!アニメミライ見て「日本も捨てたもんじゃない」って思った?やっぱメリケンのアニメには適わねえわ!こんなに老若男女皆が見れて、それぞれ違う感性で以て作品を観れる、っていうのはすごいよ!

 えー、他の考察をしますと、ヴァネロぺが「不具合のあるプログラム」として描かれている点について。今までディズニーって「障害者」を描いたことってありましたかね?これはかなり障害者としてのキャラを意識的に描いた作品だと思います。今まで人種や見た目、などで「除け者」になるマイノリティーを描いたことは多々ありましたが、ここまで「欠陥」がある、ということで描いたことはなかったように思います。
 そうした障害を持った人が社会で苛めに逢う、しかし理解者(=ラルフ≒父親?)の助けを得てその障害を活かして社会性を獲得していく。発達障害の児童の数がとても多いアメリカにおける障害児教育への警句でもあるのでしょうか。余り障害、障害、と悪いイメージばかりつけるのはいけないように思いますが、ヴァネロぺに「バグ」が発生する度に体中にノイズが走り、体を痙攣させること、またそれを周りの少女たちがからかう際に「(^q^)あばば」と滑稽な振りをすることからも、ディズニーが障害問題に意識を向けていることが分かるかと思います。

 他の考察点としては、ヴァネロぺがめっちゃ可愛いです。愛くるしいロリです。
何だこのおっさん!?(驚愕)と思われるかもしれませんが、ぶっちゃけこの「可愛さ」をディズニーが描くのはずいぶん久しぶりのように思われます。ディズニーのこの前の作品「メリダとおそろしの森」のメリダは勇ましくはありましたが、お世辞にも(少なくとも日本人の感性的には)「可愛らしい少女」ではありませんでした。フェミニズム的な見地からかもしれませんが、ディズニー作品における「少女」像はいつの間にか、アラジンのジャスミンや白雪姫など、「無垢で美しく、可愛らしく、庇護されるべき」女性、ある種男性の理想像的な女性を描くことから、男と同様に「苦悩し、泥臭く成長する」『人格』として描かれることの方が多くなりました。今回のヴァネロぺはそれに反し可愛らしさを前面に押し出したつくりになっております。それが彼女が「障害者」というある種庇護される「べき」存在だからなのか、または日本的な「萌え」を取り入れたかはわかりません。

うん、まあ可愛かったらええんちゃいますか(思考停止)
90点。
デービッドロッジの小説「ナイスワーク」の中で、フェミニストの講演者が、シルクカット社のタバコ広告のポスターに文字が使われていないが、襞飾りのある紫のシルク地が下に見えるようなスラッシュのついたものを例に取り、記号論的なものの見方を示している。そのポスターは見る者に「何が言いたいのか」を理解するために図を言葉に変換することを求めるが、絵画と同じように複数の解釈が可能である、一つの理解として「女嫌い」という解釈がある(これは他の広告であった『真ん中で断ち切られたタバコ』という去勢を連想させるものとは真逆の考えである)。ロッジの本は文化批評の中の「構造主義者」たちから着想を得ており、彼らは言語学、文学理論、記号論の発展や、アルチュセール、バルト、フーコーの著作に多くを負っている。この文脈の中では、テキストに対する同時代の理解というものは、文学的、文化的な研究の中から生まれるということである。



デービッドロッジ:20世紀イギリスの文学者。
nice work:ロッジの著書。数々の賞を受賞し、また映像化もされた。
フェミニズム研究をしている学者と会社社長の持ちつ持たれつの関係を描く。
構造主義:ggr
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
Louis Althusser, Roland Barthes, Micher Foucault:共に20世紀フランスの哲学者。最後の人はフーコーと言えば分かり易いか。

感想
no words but simply showed a slashed sheet of ruffled purple silkがどうなのか分からず「上が白くて、スラッシュが入っている。スラッシュに下には紫色のシルク地が見える」という風に取った。分からん。

ガチ評論翻訳3回目

2013年3月25日
 文学者もその批評家たちも、非文学のテキストの分析に長く頼ってきている経緯がある。トーマスブラウンがニュークリティシズムの分析(「良くできた壺」のような文学作品)に対してメタファーを提供して以後は、多くの詩人(キーツやイェイツのような)は3次元的な人工物をテキスト論評の中に織り込んできた。


キーツ、イェイツ:共に19世紀の詩人。
トーマスブラウン:17世紀の詩人。
良くできた壺:20世紀の文学者批評家ブルックスの「新批評」の潮流に対するエッセイ。
新批評:作品の背景やらを重視せず、作品単体を分析しようとする批評の潮流。1930年代以降に確立。

感想
ちょーっと読んでるこっちの学が足りなさすぎて何言ってるのか分からなさすぎんよー。
many poets have inscribed the three dimensional artefact for textual commentaryってなんぞや。
ジャックと天空の巨人 鑑賞
粗筋

農民ジャックは王宮都市に馬を売りに行くが、その途中劇場で女性を助ける。その後怪しげな修道士に豆と馬を交換されるが、その夜家に助けた女性が王宮から逃げてくる。自分は王宮暮らしは嫌だ、冒険したい、と言ってくる彼女の話を聴いていると、突如家に下から巨大な植物が生えてくる。空へと延びていく豆の木から転落し、翌日目覚めたジャックは、自分の娘を助けるために軍を編成する王の命を受け、雲の向こうまで伸びる豆の木を登り、王女を助けるための冒険に出かけることになる。

感想

レビューサイトの評価が思いのほかよかったので見ました。
うん。そこそこ。

ストーリーは民話のジャックと豆の木にロマンス要素+栄達要素を加えた感じ。
個人の成長には社会的、階級的成長を伴う、というのは19世紀までのイギリス社会の特徴らしいけど、この作品もわざわざ途中でジャックが「騎士」の称号を得るところがありました。
映像は良かったねえ。これは3Dで見る価値あるよ。

ただ、そこそこだわ…。60点。

ガチ英語評論第2回

2013年3月24日
 評論分野における多くの本と違い、本書は文化コンテキストにおける文学テキストの研究ではなく、文学的手法でもって文化テキストを学ぶ本である。それぞれの章では詩や「文学」といったものを除いた幅広い分野を分析し、また文学研究や他の領域(例えばトラウマ、「時」への問い、倫理、力学)などが起こす問題を扱う文書を読む機会を与えてくれる。多くの批評的、理論的な考え方ーー環境評論、パフォーマティブ理論、脱植民地研究など――を向ける(扱う)が、それらを使うことは、理論を学ぶためというよりも、特定の著物を読む方法を提供することを目的としている。


idiom
bring to bear:集中する

考察、紹介
perfomativity theory:遂行性理論。主にジェンダー論で扱われるのかな?
人は言葉やしぐさ、服装などで自分のアイデンティティーを作り上げる(performする)。そしてそれがパフォーマンスたるならば、身体から分離することが可能なのではないか?なので身体(=sex)が男、女でも、言葉や服装で対性の行いをする(=perform)ことでゲイ、レズビアンになる(=gender)ことも可能なのではないか、身体性と行為は分離されるのではないか、という理論です。


始めに

2013年3月23日
中の人の心が死んでしまったのでリザレクするまでこちらの方で日記を書いていきます。

日記予定

英語
ガチ評論翻訳(目標毎日)
どれだけ忙しくても一パラグラフ、最低1行でも訳していきます。慣れた後は徐々に語註をつけるなどして読み手に配慮していくことにします。本はpeter childsのtextsです。

英語資格(年6回くらい?)
TOEIC、TOEICSW、英検の3つで。今のところTOEIC855である程度あるので、TOEIC900、英検1級くらいを目指します。SWは比較対象がないので今のところはわかりません。

英会話
未定ですが、身辺が一段落ついたら始めます。目標は一応ネイティブレベルまで。

MTG
MTGは自戒のため10月までは何があっても再開しません。ひと段落つけられるようであれば次エキスパンションから再開します。

柴崎体育館
行きます。とても疲れた。

淫夢(月一)
いつもの進行状況で。

映画
これも通常通り月2~5回見に行ったものを紹介。SFや芸術性の高い作品などで難解なものもあれば考察を交えていきたいです。

そんなところで。

宗教
じゃあ学会活動できるじゃない!(ふさ子)とかそういう入信する訳ではなく、英会話の関係で教会に少しだけ通うことになるので、無宗教者から見たクリスチャンの観察なり文化的な理解なりをしていけたら。ということで。またこの前エホバが玄関前座り込みで勧誘してきました(ガチキレ)

~~~~~
ガチ評論1回目




真実を制限してしまうのは『間違い』ではなく、『つまらなさ』だ。(Paul Virilio)

導入:出発点

 ある意味では終わりのある「文(text)」などはない。何故ならその範囲は付加的な読者(=新規の読者?)にまで伸びうるからである。(Edward Said)
 「文学」という言葉では文化の範囲が、自明的に、批評的語彙を包含することの合意に先立つものだとと言えよう。(Richard Rorty)


感想:ローティーの言葉が全く分からん。
by literature, then, I shall mean the area of culture which, quite self-conciously, forego agreement on an encompassing critical vocabulary.
???
勉強せねば。


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